春日市須玖商工店連合会 弥生の里

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春日市便利帳

春日市

春日市近郊地図

春日市は脊振山系(せふりさんけい)と宝満山系(ほうまんさんけい)を源として玄界灘に注ぐ那珂川や御笠川に介在する肥沃な微高地です。
また、アジアの拠点として発展する福岡都市圏の中央部に位置しており、人が住むための地理的条件や自然環境に恵まれたところです。
古くは、弥生時代のクニ「奴国(なこく)」の中心地として先進的な文化が栄えたことが、市内各地に点在する遺跡や遺物から推測されます。
春日市の形状は、東西4km、南北5.3km、面積は14.15k㎡。

市の沿革


明治22年4月1日、町村制が施行され、那珂(なか)郡の一部だった、上白水村(かみしろうず)、下白水村(しもしろうず)、小倉村(こくら)、須玖村(すぐ)春日村(かすが)の5村が合併して春日村となりました。当時は戸籍416戸、人口2,389人の純農村でした
大正13年には春日原に現在の西鉄天神大牟田線が開通。駅前には野球場やラグビー場、テニスコート、競馬場などが設けられ、大変にぎわいました。
昭和に入ると、戦時体制に伴い小倉兵器廠(こくらへいきしょう(兵器工場))などが、また、戦後米軍基地や自衛隊基地なども新設されるなど、村勢も大きく変化しました。そして、昭和28年1月1日の町制施行により、春日町と改称。その後は、県施行の春日原土地区画整理をはじめとする市街地の整備、福岡都心部への程近い立地、良好な生活環境などにより、都心部へ通勤する勤労者の「住宅都市」として、急激に人口が増加しました。
昭和47年4月1日には3万人特例法により、市制を施行。同6月に返還された米軍基地跡地には、春日公園や春日高校、九州大学大学院、優良な住宅地などが整備されました。同時に全市的に土地区画整理事業や街路事業、教育文化施設、福祉施設、都市公園の整備を進め、福岡県内でも有数の優れた住宅環境を持つ都市として発展しました。

市章

市章
昭和38年1月20日制定

 春日市は弥生時代の遺跡の多い地域です。この市章は春日市の「春」を市内から出土した合口甕棺(あわせぐちかめかん)に合わせて図案化したものです。

市木

市木/ナギの木
市木/ナギの木

 市の木は「ナギの木」は、”ちらかしば”と呼ばれることから、若い春日市の発展を象徴する木として、昭和52年10月に制定しました。

市花

市花/ゆり
市花/ゆり

 市の花「ユリ」はユリの花がもつラッパ型の花形から市の将来を象徴する花として昭和52年10月に制定しました。

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